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「アイ・エイ・アイ」:IAI

「アンデレ・ボーシャン + 藤田龍児」東京ステーションギャラリー
東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口)
〒100-0005 東京都千代田区丸の内 1-9-1


PASTORAL REDEMPTION, GLIMPSES OF PERFECTION

ANDRÉ BAUCHANT + FOUJITA RYUJI

牧歌礼讃/楽園憧憬
アンドレ・ボーシャン+藤田龍児

 アンドレ・ボーシャンと藤田龍児―。
 活躍した時代の国も異なる二人の画家ですが、その作品はとても明るい色彩にあふれ、花が咲き乱れる、牧歌的で、楽園を思わせる光景が描かれています。 しかし、彼らは恵まれた幸福な環境で作品を描いたのではありません。
 アンドレ・ボーシャン (1873-1958) は第一世界大戦に従軍しましたが、除隊後に故郷へ戻ると、経営していた苗木農園は破産し、妻はその心労から精神を病んでいました。 彼が本格的に絵を描き始めたのはこの頃のことです。 それまで絵を学んだことはなく、しかもすでに 46 歳になっていました。
 一方、藤田龍児 (1928-2002) は若い頃から画家として活躍をしていましたが、50 歳を目前にして 2 度の脳血栓をおこし、右半身不随となってしまいます。 一時は絵を諦めますが、左手に絵筆を持ち替え、3 年後に再起を果たしました。 それまでは抽象的な作品を描いていた藤田が、牧歌的な作品を描き始めたのはこの時のことです。
 絶望の淵から二人を救ったのは絵を描く事でした。 彼らの作品が魅力的なのは、絵の力を彼らが信じて疑わなかったからではないか、と思わずにはいられません。
「東京ステーションギャラリー」 プレスリリース 2022/4/14 改定の抜粋文章です。


会期: 2022 4/16 〔土〕→ 7/10 〔日〕 展覧会は終了しました。
休館日: 月曜日(5/2、7/4 は開館)
開館時間:10:00~18:00 ※金曜日は 20:00 まで ※入館は閉室30分前まで 
会場:東京ステーションギャラリー (東京駅丸の内北口 改札前)
主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人東日本鉄道文化財団]


'2022 4_15 「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」 展覧会の概要説明会 & プレス内覧会の会場内風景です。
画像をクリックすると 「冨田 章館長(東京ステーションギャラリー館長)」 のご挨拶が大きな画像でご覧いただけます。

プレス内覧会&説明会「アンデレ・ボーシャン + 藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」東京ステーションギャラリー
・No.B-47 アンドレ・ボーシャン 《シノン城のジャンヌ・ダルクとシャルルⅦ世》
 1949 年 油彩、カンヴァス 95.0 x 116.0 個人蔵(ギャルリーためなが)

アンドレ・ボーシャン+藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」
プレス説明会 & 内覧会 '2022 4_15
会場: 東京ステーションギャラリ―



  

苦難の中から生み出された、癒しの絵画

―プレスリリース 2022. 4. 14 改定、 「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」 カタログよりの抜粋文章です―

「本展の見どころ」 「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」
・1. 大病から奇跡の復活をとげた、藤田龍児
・2. 苗木職人から驚異の転身をした、アンドレ・ボーシャン
・3. 苦難の中から生み出された、癒しの絵画

'2022 4_15 「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」 展覧会の概要説明 & プレス内覧会の作品の一部をご紹介します。
画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。
    ―「プレスリリース 2022. 4_14 改定」、【アンデレ・ボーシャン + 藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬】 カタログよりの抜粋文章です―

・ 1. アンドレ・ボーシャン (1873-1958)

アンドレ・ボーシャン No.B-45《芸術家たちの聖母》NO.B-50《タルソスでアントニウスに会うクレオパトラ》

 ボーシャンはもともと苗木職人として園芸業を営んでいました。 事業は順調でしたが、41 歳の時に第一次世界大戦が勃発し徴兵されます。 そして 46 歳で除隊した時には、農園は破産し、妻はその心労から精神に異常をきたしていました。 ボーシャンは病んだ妻の世話をしながら、半ば自給自足の生活を送りますが、そのかたわら戦時中に習得した測地術 (測量に基づいて地図を制作) をきっかけに興味を持った絵画を描き始めます。 ボーシャンの絵の多くでは、木々や草花がモチーフとなっている。 苗木職人であったボーシャンが植物をモチーフに選んだのは不思議なことではない。 ボーシャンが描いた油彩画は生涯で優に 2000 点を超えるが、その過半数を占めるのが風景画、風景の中の花、花瓶の花など、自然の景物をモチーフにしたものだ。 風俗や歴史画にも見られる人物群像の場合も、ほとんどは自然の風景を背景に用いている。 自然こそが、ボーシャンにとって最も重要なモチーフであった。

・右 No.B-45 アンドレ・ボーシャン1873-1958 《芸術家たちの聖母》 1948 油彩、カンヴァス 65.0 x 81.0 個人蔵(ギャルリーためなが)
・左 No.B-50 アンドレ・ボーシャン1873-1958 《タルソスでアントニウスに会うクレオパトラ》 1952 油彩、カンヴァス 60.0 x 77.0 個人蔵

・左 No.B-50 《タルソスでアントニウスに会うクレオパトラ》 古代ローマ史に題材をとった、シェイクスピアの戯曲でも知られるクレオパトラとアントニウスの物語の一場面。 カエサル没後、三頭政治の一角を担うアントニウスがクレオパトラに出頭を命じる。 クレオパトラは華やかに期飾り、香を焚いた船でタルソスに乗り込み、アントニウスに籠絡する。 右手の宮殿の前に立つ、黄と海老茶のマントを着たアントニウスに、黄と赤のボーダー柄のクレオパトラが歩み寄る。


・ 2. 藤田 龍児 (1928-2002)

藤田龍児No.F20《デッカイ家》、No.F-21《定年退職後》

 藤田龍児は 20 代の頃から画家として活動をしていましたが、48 歳の時に脳血栓を発症し、翌年の再発で右半身不随となってしまいます。 利き腕が動かなくなりいったんは諦めた画家の道でしたが、懸命なリハビリによって左手に絵筆を持ち替え、画家として再スタートを切ります。 再起後に最初の個展を開いた時、藤田は 53 歳になっていました。
 病気になる前と後とでは絵の内容が大きく変化する。 山や植物を抽象的な形象へと変換し、大胆に造形化するスタイルから、郷愁を感じさせる情景を丹念に具象的に描き出すスタイルへと移行したのである。 また、不自由な左手で描くため小さな画面の作品が多くなった。 しかし、制作の方法は基本的に同じであった。 もう一つ制作方法で特筆すべき点は、ニードルによるスクラッチ (引っ搔き) を多用していたことだ。 エノコログサや他の雑草などの描写に多く見られるが、レンガや屋根、電線の描写などにもスクラッチは使われている。

・右 No.F-48 藤田 龍児1928-2002 《静かなる町》 1997 油彩、カンヴァス 50.0 x 72.7 松岡真智子氏
・左 No.F-56 藤田 龍児1928-2002 《大和川駅》 2000 油彩、カンヴァス 22.0 x 27.0 星野画廊

・右 No.F-48 《静かなる町》 一見欧米の町のようだが、屋根の向こうには電信柱が描かれており、どうやらこの絵も藤田の想像の中にある町らしい。 中欧の建物の戸口に座るとんがり帽子の女の子と彼女を見つめる白い犬、そして前景のエノコログサは、藤田作品におなじみのモチーフである。 /・No.F-56 《大和川駅》 藤田の作品には鉄道がよく描かれている。



'2022 4_15 「アンドレ・ボーシャン+藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」 展覧会の概要説明会 & プレス内覧会の会場内風景です。
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アンドレ・ボーシャンNo.B-36《トゥールの大道薬売り》、藤田龍児No.F-42《神学部も冬休み》

・No.B-36 アンドレ・ボーシャン 1873-1958 《トゥールの大道薬売り》 1944 油彩、カンヴァス 51.0 x 61.0 個人蔵(ギャルリーためなが)

・No.F-42 藤田龍児1928-2002 《神学部も冬休み》 1993 油彩、カンヴァス 50.0 x 72.2 個人蔵

アンドレ・ボーシャンANDRÉ BAUCHANT 1873-1958 藤田龍児FOUJITA RYUJI 1928-2002

「年 譜」 展覧会での 「略歴」 表示より抜粋しています。

「年 譜」 展覧会での 「略歴」 表示より抜粋しています。

・1873 年 0 歳 フランス中部、シャトー=ルノーで生まれる。 父親は園芸職人。
・1900 年 27 歳 アルフォシーヌ・バタイヨンと結婚。 新婚旅行先のパリで万博を見学。
・1914 年 41 歳 第一次世界大戦勃発。 徴兵され第 7 歩兵連隊に入る。
・1921 年 48 歳 サロン・ドートンヌに 16 点の作品を出品し、うち 9 点が入選する。 会員に推挙され、以降毎年 6 点の作品を展示する権利を得る。
・1927 年 54 歳 パリのジャンヌ・ビュシェ画廊で初個展。 同画廊では、以降も 1941 年まで定期的に個展を開催する。
・1937 年 64 歳 この年から 1939 年にかけて、パリ、チューリヒ、ニューヨークを巡回した 「民衆絵画の巨匠たち」 展で、アンリ・ルソー、カミーユ・ボンボワ、セラフィーヌらの作品とともに展示される。
・1949 年 76 歳 アムステルダム市立美術館で個展。 パリのシャルパンティエ画廊にて 215 点の作品を並べ大回顧展を開催。 マリー・ジョリー=フィソーと結婚。
・1958 年 85 歳 8 月 12 日、数年前から移り住んだモントワールにて亡くなる。
・1960 年 故郷のトゥール美術館で 「アンドレ・ボーシャン 1873-1958」 展が開催される。

・1928 年 0 歳 京都市に生まれ、父親は同志社大学職員のちに村長を務めた。
・1951 年 23 歳 大阪市立美術館に付設された美術研究所に 1954 年まで通う。
・1956 年 28 歳 日比谷画廊でグループ展「舌(ぜつ)」。 津川光子と結婚する。
・1961 年 33 歳 第 21 回美術文化展に出品、美術文化協会の会員となる。 以降毎年出品する。 市川重治らと「壁画集団」を結成し、大阪高島屋第一回展出品。
・1973 年 45 歳 第 2 回個展を和歌山・小松原画廊で開催、以後 1975 年まで個展開催。
・1977 年 49 歳 脳血栓が再発、手術で一命を取り留めるも、右半身が不自由になる。
・1981 年 53 歳 左手で描き溜めた 30 点の作品により、第 7 回顧展を開催。 その後99 年まで 16 回の個展を開催する。
・1987 年 59 歳 大阪市立美術研究所四十周年度に出品。
・1994 年 66 歳 《オーイ、野良犬ヤーイ》作品F-16 が、曽野綾子 『夢に殉ず』 上下巻 (朝日新聞社、1994 年) の表紙絵に採用される。
・2002 年 74 歳 直腸癌の手術後の 8 月 9 日、敗血症により亡くなる。
・2019 年     「没後 17 年 藤田龍児遺作展」 開催 (京都、星野画廊)。

 アンドレ・ボーシャン(1873-1958) と藤田龍児(1928-2002) は、ヨーロッパと日本、20 世紀前半と後半、というように活躍した地域も時代も異なりますが、共に牧歌的で楽園のような風景を、自然への愛情を込めて描き出しました。 人と自然が調和して暮らす世界への憧憬に満ちた彼らの作品は、色や形を愛で、描かれた世界に浸るという、絵を見ることの喜びを思い起こさせてくれます。 両者の代表作を含む計 114 点を鑑賞することで、新たな発見を思い巡らせます。



お問合せ:03-3212-2485
美術館サイト:http://www.ejrcf.or.jp/gallery/
主催:東京ステーションギャラリー [公益財団法人 東日本鉄道文化財団]]

参考資料:Press Release 2022. 4. 14 改定版、「アンデレ・ボーシャン + 藤田龍児―牧歌礼讃/楽園憧憬」 カタログ、チラシ他。

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